「こんなはずじゃなかった」。
誰もがそう思ったことがあるはずです。
でも、それは思い違いなんです。
人生では、行動の結果が現れるのみ。
「こんなはずじゃなかった」は、「望まない行動」で「望まない結果」を選んだ、ただそれだけのことなのです。
なら、なぜ「望まない行動」をしてしまうのか?
それは、自分の根本にある感情、すなわち心の声を聞いて動いていないからだと考えます。
もっと言うと、トータルで見ると聞けていない、要するに「聞き続けていない」ということですね。
今回は、私の根本にある感情を例にとり、心の声を「聞き続ける」ことの重要性について書いていきたいと思います。
Contents
自分の根本にある「干渉されたくない」という感情
自分の根本にある感情を探ってみると、それは「干渉されたくない」なのかなと。
例:休日の過ごし方
例として、私の休日の過ごし方を挙げてみます。
今でこそイベントにちょくちょく顔を出していますが、もともと一人が大好きなタイプ。
一日中一人でゲームしていても何の問題もなく楽しく過ごせますね。
理解されるかどうかはともかく、そういう好みなもので。
個人的な楽しみを重視する
どちらかというと、外に向かうというよりは、個人的な楽しみを重視しているふしがあると思います。
「お気に入りのゲームができて、あとはお気に入りのランチが食べられれば」みたいなところがありますね。
旅行にも、誘われたりイベントがあったりしたら行ってそこそこ楽しみますが、自分から積極的に向かうことはあまりないです。
厄介ごとを避けたがる
関連して、厄介ごとを避けたがる面もあると思います。
特に、人間関係のごたごたを面倒くさがる傾向があります。
もちろん、本当に危機が迫っている場合は真剣に対応しますが、日常のちょっとしたいさかい等はなるべく避けたいですね。
自分の行動を逆算する
なぜ自分の根本にある感情を探ったのでしょうか?
それは、その感情から「自身の望ましい行動を逆算するため」です。
精神論に頼るのははっきり言って無意味
「やる気を出す」・「決意を新たにする」etc…
きれいな言葉ですが、これこそが三日坊主の元凶であると私は考えます。
というのも、「自分の本当の心の声を聞いていない」からです。
「自分が本当に望んでいることは何か?」
それを知り、受け入れなければ継続はありえません。
「干渉されない」ために何をすべきか?
私の場合、根本にあるのは「干渉されたくない」感情であると分析しました。
でしたら、「干渉されない」を軸に考えればよいのです。
望ましくない人物・コミュニティとの交流を避ける
まずは、「望ましくない人物・コミュニティとの交流を避ける」ことです。
いますよね、よかれと思って不要なおせっかいを押し付ける人、「お前にはできっこない」と劣等感を植え付けようとしてくる人。
そういう人、ないしそういう人が多く属するコミュニティには関わらないのが一番です。
交流を「避け続ける」ためには?
ですが、交流を避けるというのは一時的なことです。
もっと長期的に考えると、「避け続ける」ことが必要になってくるわけですね。
例えば、望まない働き方をせざるを得なくなったとしたら、そこでまた望ましくない人やものに遭遇するかもしれませんよね。
これでは長い目で見たときに本当の望みを果たせていないことになります。
すなわち、望ましい人生を選び続けるためには何が必要かということですね。
「選ぶ」と「選び続ける」は似て非なるものです。
その行動、「選び続ける」行動ですか?
一日を振り返ってみて、「選び続ける」に値する行動が一つもないなら、それは人生を考え直すべきだというサインですね。
最後に
今回の記事は自戒の意味も込めて書かせていただきました。
ちょっと今の自分の生き方はいただけないなと。
たぶん、このままだとしばらくしてまた望まない生き方に片足を突っ込むことになってしまう。
そのためには、「長期的に(←ここ重要!)」望ましくない存在とかかわらずに済む方法を模索する必要がありますね。
いつまでもウサギのままではいないぞという、そういう反骨精神がないとなかなか人は変えようとしないのかなと、そう考えております。
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