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eスポーツ人生哲学~第1回 あの日、ゲーム好きだった少年たちへ。eスポーツでまた会おう~

本日、新シリーズとして「eスポーツ人生哲学」を立ち上げる。

「eスポーツで哲学?」なんて思うかもしれない。

おそらく、eスポーツ界隈に限らず、ほとんどの人にとって哲学などまるでなじみがないことだろう。

それを踏まえてなお、一周回ってこれでいきたいと考え、発表した次第である。

そこにはかつて哲学を専攻していただとかの個人的な事情は一切ない。(なので、過去記事にあるような西洋哲学の類は扱わないのでご安心を)

もっと深く思うところがあったからこその決断である。

 

はじめに

eスポーツ人生哲学とは?

eスポーツの周りにも「人」がいる

「eスポーツ人生哲学」とは、「人生においてeスポーツはどうあるべきか?」ということを考え、その過程を発信していくコラムである。

大前提として、すべての活動の裏には「人」がいるということを忘れてはならない。

当然、eスポーツの周りにも、それにかかわる「人」がいる。

eスポーツがビジネスとしてにわかにもてはやされている現状ではあるが、常に「人」を見る必要があるのだ。

一人一人の「人」にはそれぞれの「人生」があり、eスポーツもその「人生」の中に位置を占めることで愛されていく。

「eスポーツ」と「人生」がどのように交差するかを「考える」――その必要性を感じた結果が「eスポーツ人生哲学」だ。

なぜわざわざeスポーツで人生哲学?

…と、これだけならeスポーツでなくても言えることだろう。ではなぜeスポーツで人生哲学をやる必要があるのか。

eスポーツは成長産業と言われていながら、業界に落ちているお金は驚くほど少ない。

この業界を動かしているのは、「情熱」や「期待」といった「人」の「感情」なのだ。

その感情をないがしろにしてしまえば、あっという間に勢いはしぼみ、eスポーツの盛り上がりは単なるバブルで終わってしまうことだろう。

今の勢いを一時のブームで終わらせないためには、何よりもまず一人一人の思いを「分析」する必要がある。

もちろん、eスポーツでみんなが楽しむことはとても重要だが、ただ「楽しかった」では終わらせず、どうやったらもっと多くの人が深く継続的に楽しめるかを考えなければならない。

そのためには、「人」にフォーカスを当て、eスポーツによって生まれるプラスの感情を最大化できるように、方針を最適化していくことが必要になるのだと感じている。

やはり、人間そのものについて深く考えるのは、最終的には哲学の仕事だと思うのだ。

対象読者は?

「eスポーツ人生哲学」のメイン対象は、30代以上のゲーマーとしている。

20代以下の若い世代は、おそらくこの先テキストより動画メディアを好むようになるだろう。

そういったことも考慮し、30代以上を対象にすることにした。

同時に、彼らはおそらく人生についてより深く考える時期にさしかかるだろうから、「人生哲学」というテーマもより活きると考えたのだ。

母数自体は多くなくとも、読んでくれる方々の心に深く刺さる記事を「eスポーツ人生哲学」は目指している。

 

あの日、時間なんて忘れて、みんなで遊んだ。

ぼくの生まれた1983年は、ファミコンが発売された年。

そのためか、この年に生まれた人たちは「ファミコン世代」と呼ばれることもあるぐらいだ。

あるときは友だちと一緒に、またあるときは一人で、夜になっても夢中で遊び続けた。

今と比べてグラフィックもきれいとは言えず、設計も不親切なところが多かったが、そんなことは関係なくのめりこんだ。(正確に言えば、小学生のぼくにとってはもう少し親切なほうがよかったなと思ったこともある。だがそれもいい思い出だ)

主流ハードがスーパーファミコン・プレイステーションと移り変わっても、ファミコンの原体験はぼくらの心の中に残っている。

ある意味、ぼくらはもっとも幸せな世代なのかもしれない。

ゲームの黎明期から最先端までを追い続けられているのだから。

 

あの日、ゲームが強ければヒーローだった。

子どもたちのヒーロー「高橋名人」の存在

みなさんは「高橋名人」を覚えているだろうか。

当時のハドソンの社員であり、16連射で知られるファミコンの名人である。

高橋名人は、子どもたちに爆発的な人気を誇っていた。

当然、ぼくもハドソンのゲームやコロコロコミック(高橋名人が多く出ていた)を買い、名人みたいにうまくなりたいと思いをはせた。

ゲームの上手さに熱狂する――この原体験は高橋名人が作ったと言っても過言ではないだろう。

「高橋名人」はブランディング上手!?

なお、高橋名人は本当はゲームが上手かったわけではなく、会社の方針で名人として売り出されたそうだ。

もちろん16連射は事実であったが、実際のプレーは…ということらしい。

もっとも、「ゲームの腕前だけでなくイメージも大事」という事実を先取りしたのは逆に興味深いと思う。

その点で、16連射を武器に自らをうまくブランディングした高橋名人の戦略は、現代のゲーマーたちにも学ぶところが多いのではないだろうか。

 

大人になった、ぼくたちができること。

あれから長い時間が過ぎて、ぼくたちは大人になった。

昔を懐かしむ余裕もなく、毎日に追われ続ける。

ゲームを続けてはいるけれど、いろいろな意味で、ちょっと落ち着いちゃってるのかもしれなかった。

そんなぼくたちの耳に飛び込んできた「eスポーツ」というワード。

世間でいろいろよくないことも言われているとわかってる。

それでも、かすかな熱とともに「原体験」が戻ってくるのを感じずにはいられなかった。

もう一度、ゲームに熱狂できる。

「ゲームの上手さに熱狂する」。

あのときの原体験がよみがえる。

すごくゲームが上手い人を、ただ純粋に尊敬していた。

子どものころだけでなく、大人になってもあの熱狂を味わえる。

そんな思いに、なんとなく胸がワクワクするのを感じた。

ゲームが上手くなくても「名人」になれる

「今さらゲーム?カッコ悪いさ」。

「たいして上手くもないくせに」。

そんな声もどこからか聞こえてくる。

ええ、カッコ悪くてかまわない。

別にゲームが下手だっていい。

そう、自分なりの「16連射」があればいい…なにかひとつでも強みがあればね。

eスポーツにかかわる一人一人がみんな違っていて、それでいてみんな「名人」なんだ。

eスポーツをよい方向へ導くのは「名人」たちだ

今度の「eスポーツ」は、久しぶりに面白いビジネスゲームだ。

そう簡単にお金の入らない小さな市場に、複雑に絡み合う第三者の思惑。

それでいて、ちょっと舵取りを誤れば、すぐに勢いはしぼんでしまう。

まるで、ファミコンの不親切設計の数々がよみがえっているかのよう。

けれど、日本に、世界にeスポーツが根付く喜びを思えば、ハードモードも絶好のスパイス。

今こそ、eスポーツ界に大きな「遊び場」を作ろう。そして、それを次の世代に残そう。

そのためには、eスポーツにかかわる一人一人の「名人」が自分だけの強みを発揮して、eスポーツをよい方向に導くことが必要なんだ。

キミにはどんな強みが見える?

ぼくは、その強みを見つけ出す助けになりたい。

そう、「eスポーツ人生哲学」を通じて、一人一人がeスポーツについて深く考えるきっかけを作りたいんだ。

その材料を提供するために、またぼく自身も深く考えるために、活動を続けていく。

一人でも多くの「名人」がeスポーツ界を変えていくことを信じて。

 


 

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