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哲学者コウ・メダユーのツイートを東大哲学科卒が採点するよ~第2回 カント編~

カント

皆さんは、「哲学者コウ・メダユー」をご存知ですか?

芸人の小梅太夫氏が一日一回「まいにちチクショー」としてツイッターでネタをつぶやくのですが、そのツイートに哲学的解釈を加える謎のツイッターアカウントです。

当ブログで哲学者コウ・メダユーのツイートを哲学的に解釈・採点したところ、予想外の大きな反響がありまして、急遽間隔を早めて投稿することにしました!

第1回の記事はコチラ!

 

第2回は、ドイツ哲学といえばこの人! 「コペルニクス的転回」でおなじみのイマヌエル・カントです!

「カント」で検索したところ、対象のツイートは計4つ!

それでは採点していきましょう!

小梅太夫氏、笑いを止める

人助けはプラス、芸人としてはマイナス

カントが笑いを語る?

さて、哲学者が笑いについて言及していたのかと、意外に思った方もいたことでしょう。

この笑いに関する記述は著書『判断力批判』の中に出てきます。

(「批判」といっても別にクレームをつけているわけではありませんw この「批判」はどちらかというと「吟味」に近い意味合いですね)

ちなみに、「~批判」と付く著書は全部で3つありまして、以下3つは三大批判書と呼ばれます!

  • 『純粋理性批判』(1781年発表)
  • 『実践理性批判』(1788年発表)
  • 『判断力批判』(1790年発表)

「感性」と「悟性」と笑いの関係

記述の中の「緊張した期待」は、「悟性」という能力によってもたらされます。

悟性」とは、「感性(人間の五感をはじめとする感覚の能力)」によって集められた情報を、一つの認識に総合してまとめる能力のことです。

※「感性」と「悟性」については、『判断力批判』より先に『純粋理性批判』で扱われています

カントによると、この「悟性」のはたらきが笑いに大きくかかわっているとのことです。

まだピンとこないと思いますので、こんな例を挙げてみます。

以下のように、長髪でピンク色の服を着た人の後ろ姿を見たとしましょう。

女性の後ろ姿

この映像をとらえる力が「感性」です。

で、得た情報に対して、あそこにかわいい女性がいる! 緊張でドキドキしてきた…」と判断する力が「悟性」というわけですね。

ですが、この人を前から見たときにこんな感じ↓だったらどうでしょう…

毛深い男

いや、おっさんかーい!!

思わず吹き出してしまいますよねw

この「悟性」によって生み出された緊張が、なんらかの形で不条理に裏切られたとき、笑いが発生するとカントは述べています。

つまり、すごく簡単に言ってしまうと、カント的には「笑いとは期待を裏切られること」なんですね。

解釈の盲点~ワライタケによる笑い~

ここで、ツイートの解釈に戻ります。

小梅太夫氏がネタを見せた患者は、「ワライタケを食べて笑っている」とのことでした。

ワライタケには幻覚作用のあるシロシビンという毒が含まれており、それが笑いを引き起こしているとされます。

となると、ここで一つの疑問が浮かびます。

ワライタケを食べている状態で、悟性が正常にはたらくのでしょうか?

いわば「ラリっている」状態なわけで、そこには「悟性による期待→裏切り」という図式は存在しがたいわけです。

ここでの笑いは、むしろ動物の鳴き声のような生理反応に近いものなのではないでしょうか?

すると、カントの提唱する笑いとはズレてしまうという、大きな矛盾にぶち当たります…

哲学者コウ・メダユー、矛盾をフォロー!

ですが、哲学者コウ・メダユーがそんな矛盾に気づかないはずがありません!

しっかり次の一文でフォローを入れています

日々の緊張が『無』となり、笑っていると考えられる

つまり、

悟性による期待→不条理による期待への裏切り→裏切りによる笑い

ではなく、

悟性による緊張→ワライタケによる緊張からの解放→解放による笑い

という図式を想定しているのです!

ただ、個人的には、「やっぱりカント本来の笑いの定義からはちょっとズレているかなあ…」という思いも生まれましたね。

結論:小梅太夫氏は最強ネタの保有者である

さて、ツイートはこう続きます。

「患者が『虚無』に陥っている状態を案じた小梅氏は、自身の哲学的なネタを用い、見事に無から緊張への転換を為したのだ」

細かいですが、「無」と「虚無」は違うような…

「虚無」だと「虚しい」という「悟性による判断」が入ってしまい、ワライタケによって悟性を失っている状態と相反するのではないか、と思います。

ここはまだ「無の境地」あたりにしておいたほうが無難だったような気もします。

それと、「哲学的なネタを用い、見事に無から緊張への転換を為した」の部分についてです。

緊張」は、「悟性による判断」から生み出されます。

つまり、小梅太夫氏のネタにより、ワライタケによって判断力を失っていた患者が、一気に判断力を取り戻したというわけです。

どんなシャーマンやねん!(エセ関西弁)

まあでも、どんなネタかは明言されていませんので、きっと判断力を取り戻させる最強ネタを小梅太夫氏が持っているということで間違いないでしょう!!

いつかみられる日をたのしみにしています(棒読み)

採点:60点

やっぱり、ちょっとカントの笑いの定義とワライタケの症状が合っていないという印象を受けましたね。

哲学者コウ・メダユーからのフォローがあったことがせめてもの救いです。

後半部分についても、最後までワライタケに邪魔されたという印象です。

救いは、小梅太夫氏の最強ネタの可能性が開けたことでしょうか!

諸々を悟性の力により総合して60点とします。

悲劇の引き金は梅干しだった…

せめてすっぱさを感じられただけでもよかったですね。

カント的認識論~感性と悟性とコペルニクス的転回~

感性と悟性については笑いの項目でも説明しましたが、もう一度おさらいします!

  • 感性:人間の五感をはじめとする感覚の能力
  • 悟性:感性によって集められた情報を一つの認識に総合してまとめる能力

カントは、この感性と悟性によってなされる認識がなされ、かつ「認識は対象に先立つ」としました。

どういうことか説明するため、先ほどのおっさんに登場していただきましょう。

毛深い男

通常、認識の流れは、「おっさんという対象がいる」→「われわれがおっさんを認識する」であると考えられてきました。

これは「対象は認識に先立つ」流れですね。

ですが、カントによるとこの流れは逆なのです。

まず、感性が上記の画像をとらえたとします。

その後、空間に位置付けられた情報(形・色・質量・質感…etc)悟性が判断(人間!男!中年!もじゃもじゃ!)することで、感性が得た情報を「おっさん」と認識するわけです。

これにより、「われわれがおっさんを認識する」→「おっさんという対象がいる」という流れになり、通常の認識の流れとは逆になりました!

この認識の流れが逆になり、「認識は対象に先立つ」が成り立つことこそが、冒頭で挙げた「コペルニクス的転回なわけですね!

以上がツイートにある「カント的認識論」の概要です。

「アポステリオリ」ってなに?

ツイートで「アポステリオリ」という難しい言葉をさらっと使っているので、これについても説明します。

アポステリオリ(a posteriori)」とは、経験を通じて得られた後天的な認識を指します。

(これに対し、経験に先立って得られている先天的な認識を「アプリオリ(a priori)」と言います)

アポステリオリな認識は経験によるものなので、100%正しいわけではありません

昨日が雨で、今日も雨だったとしても、明日も雨とは限りませんよね。

この不確実さを哲学者コウ・メダユーは「誤謬性」と表現したと考えられます。

カント的認識論の発展~感覚間の優劣~

さて、哲学者コウ・メダユーは、小梅太夫氏のネタを「カント的認識論を発展させる一作」と述べています。

というのも、カント的認識論においては、感覚間に序列は特に設けられていないのです。(少なくとも私の知る限りでは、です。もし感覚間の序列への言及があった場合はご一報ください)

ですが、ツイートで「視覚情報は~悟性認識を損なわせる」とし、かつ「触覚や味覚等、身体に即した認識こそを重要視した」としています。

つまり、感覚間にはっきりとした優劣を付けているわけですね。

これは原典にない思想だからこそ、「発展」という表現を用いているのでしょう。

本当に感覚に優劣があるの??

ですが、感覚に優劣があるかどうかについてはやはり怪しいと私は考えます。

一連の流れをカント的認識論にあてはめてみましょう。

まず、ボルダリング中に「梅干し岩」があったとします。

梅干し

これを感性でとらえ、「あそこに岩がある! 助かった!」と悟性で判断します。

ですが、指をひっかけると、無情にも対象はぐちゃっと潰れました

いや、梅干しかーい!!

期待を裏切られ(たけど不条理すぎて笑えず)梅干しのすっぱさを感じながら落下するのでした…

…さて、この例だけで、視覚が触覚・味覚に比べて劣っているとまで言えるでしょうか。

私は視覚だけが劣っているとは言えないと解釈します。

アポステリオリ的に見て、「今日は視覚が裏切った」だけのことではないでしょうか。

もしかしたら、明日には、収録で「箱の中の物体を触ってアルマジロだと思ったけど、見たらアナコンダだった」経験をして触覚に裏切られるかもしれません

明後日には、催眠術で「ドリアンなのにバナナのような味がして食べられたけれど、催眠術が解けたら全部吐いてしまった」経験をして味覚に裏切られるかもしれません

いくら身体に即していても、感覚である以上は裏切られる

アポステリオリの世界に100%はあり得ないのです。

採点:75点

今作はネタも解釈もかなりの挑戦作だと言えるでしょう。

ですが、それゆえにやや原典の解釈を逸脱しているところがあり、その点で少し評価は下がります

それでも、カント的認識論に一石を投じたその勇気を讃え、75点とさせていただきます。

白い粉で職務質問?

動画の内容の概要は、「ヒーローインタビューだと思ったら職務質問でした、この白いものは何かって白塗りだチクショー!」みたいな感じです。

道徳哲学とは?

道徳哲学は、著書『人倫の形而上学の基礎づけ(道徳形而上学原論)』で登場しています。

道徳上の命令をカントは「命法」と呼び、それは「仮言命法」と「定言命法」に分かれます。

それぞれの説明は以下の通りです。

  • 仮言命法:「~だから…しなさい」という条件付きの命令
  • 定言命法:「~しなさい」という無条件の命令

嘘を例にとるなら、こんな感じになりますね。

  • 仮言命法:「不幸になるから嘘をつくのはやめなさい」
  • 定言命法:「嘘をつくのはやめなさい」

仮言命法だと、「不幸になってもいいから嘘をつく!」と言われたら反論に困りますよね。

つまり、定言命法のほうがより道徳的であると言えます。

道徳哲学における嘘の排除

道徳哲学において、カントは徹底して嘘を排除する姿勢を見せます。

というのも、「嘘をついてはいけません」という道徳法則があるにもかかわらず、個人が嘘をついてしまえば、道徳法則に例外が発生してしまうためです。

したがって、法則の例外を排除するために、個人の嘘があってはならないと説いたわけですね。

この「個人が嘘をつかない」などの主観的な行動規則を、哲学用語では「格率」と呼びます。(読みは同じですが「確率」ではありません!)

著書『実践理性批判』では、「あなたの格率が、同時に普遍的な法則に当てはまるように行動しましょう(大意)」といった表現で書かれています。

つまり、さらにざっくり言うと、「あなたも普遍的な道徳にしたがって行動しましょうね!」といった感じです。

職務質問に理由あり?

さて、哲学者コウ・メダユーは、職務質問の理由をドーピングとしています。

ですが、職務質問って、別にやましいことがなくても、見た目が怪しいだけでされるじゃないですか。

小梅太夫氏の白塗りの見た目も変わっていますので、心無い警察官に職務質問されてもおかしくはありません

はたしてドーピングの疑いをかける必要があったのか

ドーピング自体が不道徳ではw

そもそも、実際にドーピングしていたら、たとえその場で嘘をつかなくても不道徳でしょうw

ドーピング自体が貢献への嘘とも言えますしw

さらに、「普段から“白粉”に薬の粉末を利用」って…そらもう不道徳の権化じゃないですかww

そんなわけで、嘘はつかなくてもそこかしこで普遍的な道徳法則を破っていることになりましたね…

採点:50点

不道徳は嘘だけではありません

ドーピングして、普段から薬使って、誤魔化したら嘘つかなくても不道徳

罪状的には0点ですが、最後まで嘘はつかなかったことに敬意を表して50点です!

いくら騙されても、騙さない。

よほどマズかったのか…

道徳哲学のおさらい

道徳哲学についてはすでに述べましたのでおさらいだけにします。

「嘘をついてはいけません」という道徳法則を守るには、「個人が嘘をつかない」ことで例外を排除することが必要でしたよね。

シンプルな名作!

ここでは、「騙された=嘘をつかれた」と解釈して差し支えないでしょう。

哲学者コウ・メダユーは「現代はマスコミによる喧伝により、真実が捻じ曲げられ、万人には受け入れ難い商品の流行が作り出される」と解釈し、おそらく微妙な新商品の試食だろうと推測。

時代に嘘をつかれても自分には決して嘘をつかず「騙された→マズかった」という感想を素直に表明する小梅太夫氏!

先ほどとはうってかわって、まさに道徳の権化です!!

非常にシンプルながらも痛快で秀逸な一作だと言えるでしょう!

「騙されたと思って食べてみなよ」

しかしまあ、「騙されたと思って食べてみなよ」っていう表現、なんか嫌ですよね。

普通に「おいしいから食べてみなよ」でいいですし、そもそも「おいしい」・「食べたい」の基準は人によって違いますからね。

そんな「万人には受け入れ難い」表現に屈することなく、「騙されてました~」と自身の立場を明確に表明する小梅太夫氏に尊敬の念を抱きます!!

評価:90点

やっぱり、いい作品はシンプルなんですね!

強いていうなら、シンプルであるがゆえに哲学的なエッセンスがちょっと少なめなところがもったいないかなと。

その点で、第1回の酒→デュオニソスから怒涛の展開を見せる解釈には少し及ばないと判断しました。

過去の解釈記事はコチラ!!

というわけで、デュオニソスの95点から-5点の90点とさせていただきます。

まとめ

今回は終始危うい感じがしましたが、最後の作品で救われました

やはり嘘をつかない正直者は報われる…そんな道徳の理想を体現した回だったのではないでしょうか。

加えて、カントの哲学もいっぱい紹介できたと思います!

皆さんも哲学・倫理の勉強にレイニーラボをご利用ください!!(謎の宣伝)

コウ・メダユーシリーズ続編はコチラ!

 


 

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