皆さんは、「哲学者コウ・メダユー」をご存知ですか?
芸人の小梅太夫氏が一日一回「まいにちチクショー」としてツイッターでネタをつぶやくのですが、そのツイートに哲学的解釈を加える謎のツイッターアカウントです。
当ブログで哲学者コウ・メダユーのツイートを哲学的に解釈・採点したところ、大変好評をいただいており感謝しきりです!
第4回は、これまでとは少し趣向を変えまして、「実はこんなテーマを扱ってたんだよ!」というおもしろテーマを、厳選して3つ紹介します!
栄えあるラインナップはこちらです!
- けものフレンズ
- プリキュア
- 電波ソング(さくらんぼキッス)
それでは採点していきましょう!
Contents
けものフレンズ~君は哲学が得意なフレンズなんだね!~
キリスト教の“隣人問題”を念頭に置く一作。原始共産主義的世界観に感銘を受け、きものちゃんと化した小梅氏だが、なんと“のけもの”とされてしまう。小梅氏は“フレンズ”を基督教における“隣人”に類する概念と定義し、恣意的にセルリアンを除け者とする『けものフレンズ』を痛烈に批判したのだ。
— 哲学者コウ・メダユー (@koume_philo) September 27, 2017
きものちゃんてww
隣人問題とは?~自分以外のすべての人を隣人として愛せよ~
キリスト教では、「隣人を愛せよ」として隣人愛を説いています。
ですが、そうなると、「どこまでを隣人として愛せばよいのか?」という問題が生じます。
これが隣人問題ですね。
一応、解答としては「自分以外のすべての人を隣人として愛せよ」ということになります。
これ、けもフレのテーマじゃん!
そう、まさに「のけものはいない」を掲げたけものフレンズのテーマと重なるんですね!
哲学者コウ・メダユーの慧眼に感服します!
一人ぼっチクショー!でのけものに…
ですが、そのテーマに反して、小梅太夫氏は一人ぼっチクショー!と叫び、自らのけものになる道を選んでしまいます!
セルリアンへの扱いは隣人愛に反する!
そう、「けものはいても、のけものはいない」がテーマのけものフレンズでしたが、セルリアンだけは別なのです…
「セルリアンまで愛してこそ、真の隣人愛だ!」
名作と名高いけものフレンズに対して、隣人愛の観点から一人立ち向かう小梅太夫氏!
まさに救世主キリストのごとき勇姿です!
でも…セルリアンって人でもけものでもない?
ただ…セルリアンってそもそも何なのかというのが問題ですね…
「生命体」とはされていますが、人でもけものでもありません。
そうなると、「人」ではない生命体にまで「隣人愛」が適用できるのか、という問題にぶち当たります。
キリスト教では、さすがに「人」以外に対しては「隣人愛」を説いていません。
そうなると、セルリアンは隣人愛の対象としてはきわめて怪しいですね…
採点:80点
神格化された人気作に対して一石を投じた点を高く評価します。
ですが、隣人愛の対象を人以外に広げるかどうか、という点で疑問が残りました。
というわけで80点とします。
プリキュア~大きなお友達は哲学の巨人~
プリキュアはどのような存在だろう。我々にとってプリキュアは無論ヒロインであるが、そこには一種の偶像性が潜んでいる。偶像は、その死と同時に効力を失うが、有機的な身体を持つ小梅氏は自身の偶像化の為に全身の凍結による身体の保存を選び、“プリキュア”として崇拝される道を選んだのだ。遺作。
— 哲学者コウ・メダユー (@koume_philo) February 24, 2019
最期にプリキュアになれてよかったですね。
偶像について
偶像とは、主に神の像や仏の像のことを指します。
度合いの違いはありますが、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教では基本的に偶像の崇拝が禁止されていますね。
英語ではidolといい、これは日本語の「アイドル」に通じます。
「プリキュア=偶像」のモチーフも「アイドル」からの転用でしょう。
偶像が死と同時に効力を失う?
このツイートで一番怪しいのは、「偶像が死と同時に効力を失う」ところですね。
仏像を見ても分かる通り、偶像は対象の存在・非存在にかかわらず力を持ちます。
むしろ、死ぬことで神格化される部分もあるのではないでしょうか。
「偶像化」=「神格化」?
ここでの「偶像化」には二つの意味が考えられます。
- 自らを凍結させることで文字通りの「像」となる
- 凍結して死亡することによって神格化される
哲学者コウ・メダユーはどうも主に前者の意味で語っているように見えるのですが、ここは後者の意味合いのほうがより重要なように思います。
つまり、偶像の力は死してなお強まるものであるということですね。
ある意味、死亡によって強制的にプリキュアを打ち切りにし、伝説の番組として神格化されるようになったみたいな!
…って、めったなことを言わせないでくださいw
採点:60点
ここは哲学者コウ・メダユーとははっきり解釈が分かれました。
特に、偶像が死によって効力を失うという点は、偶像崇拝の現実を考えると腑に落ちませんでした。
ただ、自身を文字通りに「像」にするアイディアは面白いと思いました。
よって60点とします。
伝説の電波ソング「さくらんぼキッス~爆発だも~ん~」
?と爆弾という二語から、楽曲「さくらんぼキッス〜爆発だも〜ん〜」が示されている事は明白である。さて、クザーヌスは、完全に厳密な調和が見出せる曲は無いとした。クザーヌスの音楽論を理想視する小梅氏は、電波ソングを一例に出し、世界の楽曲は全て“歯抜け”(不完全)であると論じたのだ。問題作。
— 哲学者コウ・メダユー (@koume_philo) June 12, 2018
なんで知ってんすかwww
小梅氏の名誉のため述べておくが、クザーヌスの哲学に則ったが故に、小梅氏は楽曲の不完全性を論じただけであり、KOTOKOの楽曲を批判しているわけではないのだ。寧ろ、一例として「さくらんぼキッス」を挙げた事から、小梅氏が「おたく趣味」を持っている事が明らかになったと言えるのだ。
— 哲学者コウ・メダユー (@koume_philo) June 12, 2018
いや、さくらんぼと爆弾からさくらんぼキッスを連想したのはあなたでしょww
ちなみに楽曲はこちらです!
まあ普通に電波ソングですねww
クザーヌスとは?
(画像が見つかりそうになかったため、Wikipediaから引用させていただきました)
ニコラウス・クザーヌスは、15世紀ドイツの哲学者・神学者です。
無限においては、極大と極小・神と被造物といった対立するものが合一するという思想を説きました。
音楽の不完全性?
クザーヌスの思想は、「完全・不完全」という二つの概念から成っています。
なので、「完全」である「自然(≒神)」に対して、「人間(≒被造物)」は「不完全」であると説いたわけですね。
そうなると、人間の作り出す音楽も「不完全」に属するというわけです。
歯吹っ飛び→歯抜け→不完全!
題材の奇抜さとは裏腹に、これは極めて論理的な論考です。
まず、歯吹っ飛び→歯抜けから不完全を導いています。
不完全といえばクザーヌス。
そして、「音楽の不完全性」を表す例として、電波ソングを挙げています。
まさにきれいに着地していますね!
なお、哲学者コウ・メダユーの注釈にある通り、そもそも音楽自体が不完全なものであり、なにも電波ソングが悪い音楽というわけではないということは補足しておきます。
採点:95点!
これは現時点での最高傑作ではないでしょうか!
もう、さくらんぼと爆弾からさくらんぼキッスを思いついた時点で勝ちですね!
内容もクザーヌス哲学にきちんとふれていて問題なしです!
強いて言うなら、更なる進化を見たいのと、注釈で名誉を守るために補足しなければならなかったことが細かいマイナスポイントでしょうか。
というわけで最高点タイの95点です!
まとめ
今回は違った視点からテーマ選びをしてみました!
既に哲学者コウ・メダユーのツイートはすべてチェック済みですので、これからも面白い切り口がいろいろできると思います。
ぜひ期待していてください!
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