私は3月から新しい生活を始めました。
なぜ再スタートを切ろうと考えたのでしょうか。
それについて、ニーチェの思想を紹介しながら触れていきます。
Contents
なぜ新しいスタートを切ったのか?
3月からブログを始め、新しいスタートを切りました。
なぜ、ここに来て大きく生活を変えようと思い立ったのでしょうか。
「同じことを繰り返している」感覚があった
生活を変えるに至った理由はいろいろあります。
中でも、「夢をもう一度追いかける」という理由が大きかったことは事実です。
これはポジティブな理由ですが、ネガティブな面で大きかった理由がありました。
それは、「同じことを繰り返している」という感覚です。
どうして「繰り返し」がいけないのか?
悪くない一日、悪くない生活。
こんな日々がずっと続けばいいのに。
多くの人がそう思ったことがあるでしょう。
ですが、その「のに」という語尾が、ずっとは続かないということを逆説的に示しているのです。
まるで、少しずつ先細っていくロウソクの火を見ながら、まだ消えないでと願っているかのように。
先細りに気づいているなら、燃え尽きる前に火を灯すなり、ロウソクを変えるなり、手を打つべきなのに…
火が消えてしまってからでは、何もかも遅いのです。
「繰り返し」を無批判に受け入れることは、少しずつ消えゆくロウソクの火を何もせずに見ているようなものだと感じたんですね。
明日が来るならまだ見ぬ明日を!
「昨日と同じ明日が来ればいい」と考えている人たちから見たら、私のやっていることは馬鹿みたいに映るでしょう。
それはそれでいいんです。その人たちの見方ですから。
でも、私はそういう生き方を選びませんでした。
明日が来るなら、見たことのない明日のほうがいいんです。
たとえ、不安に見えるような明日であってもね。
これは私自身の確固たる選択です。
ニーチェの思想にも似た流れがあった!
私の敬愛する哲学者フリードリヒ・ニーチェの思想にも、似たものがあります。
それは、「永劫回帰」と「超人」の思想です。
「永劫回帰」の思想
「永劫回帰」とは、無意味な人生が同じように永遠に繰り返すという思想です。
輪廻転生のような前世の概念もなく、全く同じように繰り返されるというのが特徴です。
「超人」の思想
「超人」とは、永劫回帰の人生の無意味さを乗り越える強さを持った存在のことです。
いわゆる力自慢ではなく、自らの確立した意思で行動するというところに特徴があります。
「繰り返す無意味さ」を乗り越え、自らの意思で行動する!
私はこの生き方に深く共鳴しています。
繰り返しというものは、無意味さを孕んでしまうものです。
その無意味さを超えるためには、自らの意思を確立させ、行動によって示すことが重要なのです。
同じような人生を黙って見ていることはできませんでした。
自分なりの生き方で超えていきます。
最後に
私の生き方をよく思わない人たちもいることでしょう。
その考え方を尊重しつつも、私は私の道を行きます。
それぞれが自らの思う良い人生を歩めればと考えています。
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