生きていると、ふと思うことがあります。
「ああ、人は結局他人のことなんて興味ないんだな…」って。
ですが、その事実が強みになるのではないかと考えました!
哲学の視点と合わせて解説します!
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きっかけとなったツイート
蛭子能収のWikipedia読むと、人間ってこういうもんだよなって感じがして謎の安心感が得られる pic.twitter.com/rsmfyazhwX
— ぽかり氏 (@ChickenZombies_) March 7, 2019
漫画を逆に送っても問題なし!?
この記事を書くきっかけは、上記のツイートを見たときでした。
特に、このツイートの1枚目の内容が印象に残りました。
簡単に内容を説明します。
「漫画家の蛭子能収さんが、競艇漫画とエッチな漫画をそれぞれ逆の出版社に送ってしまったが、何も言われなかった。このことから、『人は自分のことなんか見ていないのだから気にする必要はない』との結論に至った」
何ともシュールなエピソードですねw
思い当たるふしがある…
ですが、ブログを続けていると、蛭子さんの話には思い当たることがあるなと思いました。
「この記事はどうかな~」と思って出した記事があっても、特に何も言われません。
ページビューなどのデータを見ても、他と比べてひどく悪いわけでもありません。
「ブログの初めは無反応との戦い」とはよく言われますが、確かに、以下のように一定の反応があった記事もあるものの、それ以外の多くの記事は無反応に近い状態でしたね。
そういえば、似たようなことを言った哲学者が…
そして、考えていくうちに、ある哲学者が似たようなことを言っていることに気がつきました。
その哲学者の名は、ジョージ・バークリーです。
哲学者ジョージ・バークリー
バークリーは、18世紀アイルランドの哲学者です。
広義ではイギリス哲学に分類されますね。
「存在することは知覚されることである」
彼の思想を代表する言葉に、「存在することは知覚されることである」というものがあります。
彼に言わせれば、「誰にも知覚されないものは存在しないも同然である」わけですね。
かなり過激な考え方ですが、我々は肉体という受容器を通じてしか世界を認識できないわけですから、ある意味現実的とも言えるわけです。
じゃあ、無名なものは存在しないの?
こう聞くと、なんだか絶望的になりますよね。
まるで、誰にも知られない無名なものは存在しないも同然と言われているようで!
結局は知名度なのか!!みたいな。
ですが、そこまで悲観的になることもないと私は考えます、
知覚されないことは強みになる
知覚されない状態は気楽!
知られない状態って、すごく気楽なんです!
例えば、透明人間をイメージしてみてください。
イタズラし放題、盗み食いし放題、お風呂覗き放題です!(コラ)
そこまで極端ではないにしろ、下手に知られていると行動に制約がかかることはよくありますよね。
知られていないなら、その分自由に動くことができるわけです!(もちろん公序良俗に反しない範囲でですが)
知覚の死角から「不意打ち」できる!
バークリー的に言うと、「知覚されないものは存在しない」わけです。
ということは…「誰かにひとたび知覚されれば、そのときから存在する」のです!
さっきまでその人の中には存在していなかったのに!!
「存在しなかったものが存在する」…衝撃ですね!
まさに桶狭間で今川義元を不意打ちした織田信長のごとく!
この衝撃を与えられるのは「無名なものたち」の特権ですよ!
ゼロから存在を作れる!
存在しないということは、「ゼロ」の状態です。
ですから、いくらでも新しく存在を作れるわけですね!
相手にどういう知覚をさせて、どういう存在を見させるか、考える楽しみがあるのです!
最後に
基本的に人はあなたのことを見ていません。
ですが、裏を返せばそこにはあっと言わせるチャンスが眠っているわけです!
名もなき者のお気楽さで、一泡吹かせてやりましょう!
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