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哲学ゲーマーにとって、「人と同じ」は厳禁!!~「クオリア」の観点から~

感覚

「人と同じ」って、ある意味すごく安心を誘うような言葉だと思います。

ですが、勝負を意識するときは、足を引っ張ることも多い言葉であるとも考えています。

今回は、「クオリア」という哲学の概念から、ゲーマーが「人と同じでいい」という考え方をすることについて問題を提起します。

「クオリア」とは?

では、「クオリア」とはいったい何なのでしょう?

簡単に言うと「~な感じ」のこと

「クオリア」は「感覚質」とも訳され、「~な感じ」を表します。

「赤い感じ」・「冷たい感じ」・「痛い感じ」…などですね。

科学的に説明することが難しい

この「感じ」は、科学的に扱うことが難しいです。

例えば、「痛み」には「痛覚」がありますが、個人個人が感じる「痛い感じ」、ならびにその違いについてはうまく扱えていないというのが現状です。

「~な感じ」というのは、日常的には存在するのが当たり前に思えますが、なかなか捉えにくいものなのですね。

人によって感覚が違う

リンゴを見たとき、赤く見えるかもしれません。

ですが、他の人は、桃色に近い色で見えているかもしれません。

もしくは、また他の人は、ひょっとしたら緑色に見えているのかもしれません。

感覚は大きく異なっていながら、その違いを検知しにくいものなのです。

 

カードゲームにおける「感覚の違い」

カードゲーム

この「感覚の違い」の問題は、カードゲームにおいても見られます。

一流選手が見せる「不可解なプレー」

試合を観戦していると、一流の実力を持った選手がときどきこちらの理解を超えるプレーをすることがあります。

数ターン経つと「そういう意図があったんだ」と思うこともありますが、中にはなかなか謎が解けないようなプレーも存在します。

見えている世界の「違い」

こういったプレーへの見解の違いは、見ている世界が違うことにより起こります。

同じ盤面を見ていても、一流プレイヤーには他のプレイヤーに見えていないものが見えているのです。

見え方の「違い」はガイドでも言語化しにくい

この違いは一流とそれ以外を分けるほど決定的なものなのですが、残念ながらこういった部分は言語化しにくいものなのです。

デッキガイドについても、最大公約数的な解法は網羅できますが、一流との細やかな感覚の違いになると、すべてを表現することは難しいです。

ちょうど、クオリアを科学的に取り扱うことが難しいように。

一流に近づくには「違い」に敏感になるべき!

一流との差を埋めるには、この「違い」を注意深く観察することが必要なのです。

一見赤に見えるリンゴの中に、一流は桃色を見ているのかもしれません。

違いが存在するかどうか、常に疑わなければなりません。

「人と同じ」という考え方は成長を遠ざける!

そこを「人と同じ」という考え方でいたらどうなるでしょうか。

まず、「同じかどうか」に目が向いてしまうことで、以下の事態に陥ることが懸念されます。

  • 細かな違いに対して鈍感になる
  • あるいは違いを極端に排除するようになる

結局のところ、「なぜ違うのか」を考えるきっかけを失うことになり、成長から遠ざかっていってしまうのです。

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大切なのは「違いを取り込んでいく」こと!

重要なことは、一流との「違い」を探し出し、その「違い」を自分の中に取り込んでいくことだと考えます。

一流とそうでない人を分けるのは運ではありません

何かが「違う」からこそ、分かれているにすぎないのです。

成長するには「違い」を真摯に見つめ、自らのクオリアに一流のエッセンスを少しずつ混ぜていくことです。

客観的に定量化しにくい領域だからこそ、個々人の姿勢の違いがより明確に出るところですね。

 

最後に

今回は、クオリアの観点から「違い」の重要性について書き、「人と同じ」が成長を妨げかねない点について書きました。

勝負師として、一味違うプレイヤーになっていきたいものですね!

 


 

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