哲学

「連ちゃんパパ」と「自粛警察」は地続きである

「連ちゃんパパ」とは

先日、ある一本の漫画がTwitter上で話題となった。

その漫画の名前は「連ちゃんパパ」。90年代半ばにパチンコ雑誌で連載されていた、特に有名ではない作品であった。

※連ちゃんパパ1巻URL https://www.mangaz.com/book/detail/202371

なぜ話題になったかというと、主人公をはじめとする登場人物の性格があまりに酷く、しかも市井の人間にありそうなリアルさを持っていたことが大きい。

では、いったいどのように酷いのか。

私も全巻読んだが、この作品については既にさんざん語り尽くされているため、ここでは以下の要約のみにとどめる。

「その場限りの感情で、都合のいい正義を振りかざし、他人に迷惑をかける。しかも悪意がない」

具体例を挙げるとこんな感じ。

  • 「その場限りの感情で」→「パチンコやりてえ!」
  • 「都合のいい正義を振りかざし」→「稼がないといけないし」
  • 「他人に迷惑をかける」→「全部スッちまった!」
  • 「しかも悪意がない」→「アハ!」

これを主人公だけでなく周囲の人間のほぼ全員が手を変え品を変え実行し続けるのだから恐ろしい。

絵に描いたような極悪人の酷さではなく、一般市民が己の欲望のままに動くことによって起こる悲劇を克明に描いているのである。

 

「連ちゃんパパ」と「自粛警察」の共通項

さて、この「連ちゃんパパ」の登場人物の行動パターンに似たものがないだろうか。

そう、いわゆる「自粛警察」である。

「自粛警察」とは、コロナウィルス下の時勢において、飲食店の営業などに対し勝手に自粛を求める人々のことだ。

こちらも具体例を挙げよう。

  • 「その場限りの感情で」→「店やってる!何あれ!」
  • 「都合のいい正義を振りかざし」→「営業は悪!やめさせなきゃ!」
  • 「他人に迷惑をかける」→罵詈雑言だらけの貼り紙
  • 「しかも悪意がない」→「私のしていることは正しい!」

このシンクロ率。さらに、いわゆる巨悪ではなく一般市民であるところまでそっくりだ。

こういった「自粛警察」がはびこる世の中において「連ちゃんパパ」が話題になったことは決して偶然ではないだろう。

 

時代が巻き起こした「連ちゃんパパ」のブレイク

なぜ「連ちゃんパパ」がブレイクしたか。

その要因として、漫画としての技術の高さが挙げられている。

しかし、それなら連載当時や、2年前に電子書籍化された時に人気が出ていたはずだ。

では、本当の原因はどこにあるのか。

おそらく、「自粛警察」まで現れるこの時勢の中で、民衆が無意識のうちに「悪とは何か」ということを思い始めていたのだろう。

そこに「庶民の抱える悪」の象徴としての「連ちゃんパパ」がぴたりとはまった――。

島田紳助氏の言葉を借りるならば、「時代と交通事故を起こした」のである。

「悪は他ならぬ私たちの中にある」。

うすうす気づき出していた厄介な事実を、「連ちゃんパパ」という鈍い凶器によってえぐられ、突き付けられる羽目になった――その「痛み」への疑似体験が求められたということではないだろうか。

 

最後に

コロナウィルス下の世界は、すぐそこにある悪を白日の下に晒した。

悪を裁こうとする自覚なき「自粛警察」も、第三者視点から見れば悪にも映る。

こうして、悪は私たちの日常の中にじわじわと回っていく。

「連ちゃんパパ」のブレイクは、悪が身近でゆるやかなものとして浸透してきていることを表しているのかもしれない。