哲学

東大哲学科エピソード! 飲み会でいきなり箸についての議論が始まる!

東京大学
レイニーデイ
レイニーデイ
サニーレタスくんは飲み会で議論したことある?
サニーレタスくん
サニーレタスくん
え、口ゲンカっスか? そりゃあ勢いで…
レイニーデイ
レイニーデイ
ごめん…哲学的な議論のことなんだ
サニーレタスくん
サニーレタスくん
なんで飲み会でそんなことを

きっとみなさんサニーレタスくんのように思ったでしょうw

ですが、哲学的な議論が行われた飲み会が存在したのです!

そう、東大哲学科の飲み会です!

以下、実際にあった話をもとに、その議論を紹介していきます!

はじめに~楽しい打ち上げの時間~

飲み会

哲学科在籍時に、哲学科の学生たちと教授陣数名で飲み会に出かけたときの話です。

論文かなにかの打ち上げの席だったと記憶しています。

その時、議論が始まった

終始なごやかな雰囲気で会は進みました。

ドイツ哲学の教授は、「ドイツではビールは常温」と言って、日本のキンキンに冷やしたビールだけがビールではないといった持論を展開したり…

サニーレタスくん
サニーレタスくん
生ぬるいビールとか絶対嫌っス
レイニーデイ
レイニーデイ
まあ、好みだからね…

そして、料理もだいたい出尽くしてきたころ、教授の一人がこんなお題を出してきました。

「箸が2本であることは、箸の属性か本質か?」

箸

箸が2本であることは、箸の属性か本質か?

飲み会の席で突然こんなことを言われたら、普通は面食らうところでしょう。

ですが、このお題についてみんな笑顔で話すんです。

おだやかに、それでいて熱心に議論を交わし合うんですね!

後にも先にもこんな飲み会は他ではお目にかからなかったなあ…

属性と本質の違いって?

ちょっとこれだけではあまりにも唐突なので、属性と本質の違いについて簡単に説明しておきます。

両者の違いは、

  • 属性:付属的なもので、なくても本体に影響しない性質
  • 本質:根本的なもので、なかった場合本体でなくなる性質

ですね。

カレーライスの例

例えば、カレーライスを思い浮かべてください。

カレーライス
・属性 ~にんじんのないカレーライス~

このカレーライスに、にんじんが入っていなかったとしましょう。

にんじんが入っていなくても、カレーライスはカレーライスのままです。

これは、「付属的なもので、なくても本体に影響しない」性質に該当します。

つまり、にんじんはカレーライスの「属性」だと考えられます。

・本質 ルーのないカレーライス~

一方、カレーライスにルーがかかっていない場合はどうでしょうか。

その場合、残るのは「ライス」だけです。

ですので、ルーがなくなるともはや「カレーライス」とは呼べませんよね。

これは、「根本的なもので、なかった場合本体でなくなる」性質に該当します。

つまり、ルーはカレーライスの「本質」だと考えられます。

属性派・本質派の意見は?

属性・本質の違いについて、なんとなくおわかりいただけたでしょうか。

次は、属性派・本質派それぞれの意見を紹介します!

属性派の意見

1本だけでも箸ってわかるよね? 本数とかいる?

箸が1本だけ

例えば、箸が2本あるときに1本だけを取り出して、「これは何?」と聞きます。

すると、「これは箸だ」という答えが返ってくるでしょう。

たとえ1本だけになっても、われわれは箸を箸と認識することができます。

したがって、2本という本数は属性にすぎないのです。

本質派の意見

1本だけだと、本質的に箸として使えないのでは?

箸といえば、「2本でものをつまむ」ものです。

1本だけになってしまうと、この本質的な使い方ができないことになります。

もちろん、画像のように物を刺すなどすれば、使えなくはありません。

ですが、それは「箸」として想定された使用法ではなく、単なる「棒」としての使い方であるため、「箸」の概念から外れてしまいます。

したがって、2本であるということは箸の本質であると言えます。

レイニーデイの意見は?

サニーレタスくん
サニーレタスくん
所長はどっちの陣営に属したんスか?
レイニーデイ
レイニーデイ
陣営って…実は今でも二転三転してるんだ

最初は属性だと思っていた

第一印象は「属性」でした。

「箸が2本でなければならない」というのは思い込みだ!みたいな。

飲み物をかきまぜたり、食べ物をすくったりといった使い方もできる

しかも、そういう使い方をしながらも、われわれはそれを箸だと認識している。

なので「2本」というのは単なる属性なんじゃないかと、最初は思いました。

でも、本質かなあとも思ったり…

ですが、やっぱり「本質」なんじゃないか…と最近思うようになってきました。

そもそも、「箸が2本で使用されている事実」があるからこそ、箸が1本だけになっても箸であると認識できるわけです。

「箸が2本で使用されている事実」がなければ、1本だけの箸はただの棒切れにすぎず、「箸」とは認識されません

本数は「箸」という概念の認識にかかわる部分なので「本質」なのかなあ…と。

ただ、文化的に箸の使用法が変われば(1本だけの刺し箸が正式な使用法になるなど)箸の概念も変わりますので、「本質」とまでは言えないんじゃないか…と思うこともあります。

そこで、皆さんに聞いちゃいます!

シンプルな問いかけなのですが、なかなか断定できないテーマだと考えています。

そこで、多数決が正しいというわけではありませんが、どんなふうに意見が割れるのかを知ってみたくなりました!

以下のツイートにアンケートを付けましたので、属性・本質どっちだと思うか、気軽に答えてみてください!

みなさんの回答をお待ちしています!

箸は2本である…属性・本質どっち!?


 

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